背景とねらい
タイはASEAN諸国の中でも特に日本のアニメが親しまれている国の一つである。アニメ制作会社の海外契約件数(放映・上映・ビデオグラム・配信・商品化等)で見ると、平成27年の調査でタイは米国、中国、カナダ、韓国、台湾、イタリアに次ぐ7位を占めており、ASEAN諸国の中では15~17位のインドネシア、フィリピン、シンガポールを大きく引き離している。歴史的にも、日本とタイのアニメーション分野における関係は深く、タイ国内最大かつ最古の映像制作スタジオとして知られるKantana GroupのKantata Animation Studiosは、元々日本の東映アニメーションの下請けとして始まった会社である。同社はその後、3DCG制作にシフトし、平成18年にはタイ初の長編アニメーション作品『Khan Kluay』を制作。その後も2本の長編作品とTVシリーズを制作している。
一方、アニメーション分野の人材育成については、今回の事業の協力先であるSilpakorn Universityをはじめ、各地の教育機関でアニメーション教育が行われており、今後さらに同国のアニメーション産業が活性化することが期待できる。しかし現時点ではまだアニメーショ ンを専門とする指導者の数は少なく、現在主流の3DCGだけでなく伝統的な2Dアニメーション表現にも精通した指導者となればなおさらである。こうした背景を踏まえ、本事業では、日本で活躍するプロのアニメーター3人をタイに派遣し、現地の若者達にアニメーション表現の基本を教える、実践的な内容の作画ワークショップを行った。カリキュラムや指導方法 は、平成24年度から文化庁のメディア芸術分野の事業の一つとして実施されてきた『アニメーションブートキャンプ』というワークショップをベースにしている。
『アニメーションブートキャンプ』は、「自己発展・自己開発できる人材の育成」を目的に掲 げ、自分達の身体を使って「観察すること」や「感じること」、さらに「他者に伝わる表現」を追求することを重視した、基礎的かつ本質的なアニメーション教育プログラムである。講師は日本のトップクラスのアニメーター達であり、普段なかなか表舞台に出ることのない彼らから、直接的な指導を受けることができる。同ワークショップをタイで実施することで、現地の若者達を触発するとともに、日本のアニメーションについて深いレベルで理解してもらうことを目指した。
昨年度、我々は初めてタイで『アニメーションブートキャンプ』を実施したが、参加した学生達や、現地の大学の先生達から大変に好評であり、継続的な開催を強く求められていた。さらに昨年度の参加学生が、ワークショップで学んだことを発展させて制作したアニメー ション作品が映画祭等で高い評価を得るなど、具体的な成果も出始めていた※3 。そこで本年度、再びタイで2回目となる『アニメーションブートキャンプ』を実施することとし、昨年度は2日間だったプログラムを3日間に拡大してさらなる充実を図った。また新たな試みとして日本からの学生参加も呼びかけ、東京藝術大学から6人の大学院生が参加することになった。
実施体制
日本側 | |
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講師 | 京極義昭(アニメーター、演出) |
佐藤好春(アニメーター/日本アニメーション株式会社) | |
瀬谷新二 (作画監督/株式会社手塚プロダクション製作局 作画部) | |
ディレクター | 竹内孝次(アニメーションプロデューサー) |
布山タルト(東京藝術大学教授) | |
プロジェクトプロデューサー | 岡本美津子(東京藝術大学教授) |
プロジェクトマネージャー | 江口麻子(東京藝術大学助教) |
通訳 | 久米晶子 |
Rinyaphat Phattaratheeda | |
企画・運営 | 東京藝術大学大学院映像研究科 |
全体統括 | 公益財団法人ユニジャパン |
事業主任 | 前田健成(国際事業部情報発信グループ統括プロデューサー) |
事業担当 | 本多麻由(国際支援グループ) |
タイ側 | |
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現地協力校 | Silpakorn University |
タイ側プロジェクトプロデューサー | Chanisa Changadvec (Chair of Visual Communication Design Department, Faculty of Decorative Art) |
通訳監督 | Chaiyosh Isavorapant (Faculty of Painting Sculpture and Graphic art) |
スタッフ | Chitchai Kuandachakupt (Product Design Department, Faculty of Decorative Art) |
Naj Phonghanyudh (Applied Arts Department, Faculty of Decorative Arts) | |
Thatree Muangkaew (Ceramics Department, Faculty of Decorative Arts) | |
Atiwat Wiroonpetch (Visual Communication Design Department, Faculty of Decorative Arts) | |
Kanitta Meechubot (Visual Communication Design Department, Faculty of Decorative Art) | |
Sutasinee Vajanavini (Visual Communication Design Department, Faculty of Decorative Art) | |
講師補助 (Silpakorn University卒業生ら)
Chayanit Kiatchokechaikul (Illustrator) |
参加者所属校 |
---|
Silpakorn University |
-Visual Communication Design Department, Faculty of Decorative Arts (10 students) |
-Animation, ICT (2 students) |
-Digital Communication Design, Multimedia (2 students) |
Mahidol University International College / Animation Production (2 students) |
Rangsit University / Computer Art (2 students) |
King Mongkut’s University of Technology Thonburi / Media Arts (2 students) |
King Mongkut’s Institute of Technology Ladkrabang / Film and Digital Media (2 students) |
Kantana Film and Animation Institute / Animation Production (2 students) |
Sriprathum University / Digital Media (1 student) |
Graduate School of Film and New Media Tokyo University of the Arts, Animation Department (6 students) |
講師プロフィール
-
京極義昭 (アニメーター、演出)
-
佐藤好春 (アニメーター/日本アニメーション)
-
瀬谷新二 (作画監督・株式会社手塚プロダクション 製作局 作画部長)
実施概要
《事業名》
『アニメーションブートキャンプ 2016 ASEAN』
《日程》
平成28年12月9日(金)~11日(日)
《場所》
Silpakorn University, Sanam Chandra Palace Campus(バンコクから西に50キロほど離れたナコーン・パトムに所在)
《プログラム》
【1日目(12月9日)】
9:00-9:30 :紙人形の制作
9:30-10:00 :オープニングセレモニー
10:00-10:10 :オリエンテーション(瀬谷講師)
10:10-10:20 :歩きの観察
10:20-11:30 :歩きの作画
11:30-11:40 :歩きの作画の講評
11:40-11:55 :歩きの講義①(瀬谷講師)
11:55-13:00 :歩きの作画の修整
13:00-13:05 :『シンドバッド』制作資料の説明
13:05-14:00 :昼食
14:10-14:50 :シアターゲーム(京極講師)
14:50-15:00 :修整した歩き作画の講評
15:00-15:10 :歩きの講義②(瀬谷講師)
5:10-15:40 :課題の説明(瀬谷講師)
15:40-16:20 :グループ毎のディスカッション
16:20-16:30 :キーポーズに関する講義(瀬谷講師)
16:30-17:50 :コンテ撮影
17:50-18:00 :1日目のまとめ(瀬谷講師)
【2日目(12月10日)】
9:00-9:30 :コンテ撮(アニマティクス)の上映と講評
9:30-12:00 :作画
12:00-13:00 :昼食
13:00-15:00 :作画
15:00-15:10 :2日目の最終目標の説明(竹内ディレクター)
15:10-17:30 :作画
17:30-17:35 :2日目のまとめ(竹内ディレクター)
【3日目(12月11日)】
9:00-13:00 :作画
13:00-14:00 :昼食
14:00-15:00 :『シンドバッド 魔法のランプと動く島』上映
15:00-16:30 :講評
16:30-17:30 :質疑応答
17:30-18:00 :クロージングセレモニー(修了証授与・記念撮影)
《参加者》
32人(タイ参加学生25人+東京藝術大学学生6人+東京藝術大学修了生1人)
Silpakorn University(シラパコーン大学)
-Visual Communication Design Department, Faculty of Decorative Arts 10人
-Animation, ICT 2人
-Digital Communication Design, Multimedia 2人
Mahidol University International College(マヒドン大学)
-Animation Production 2人
Rangsit University(ランシット大学)
-Computer Art 2人
King Mongkut’s University of Technology Thonburi(モンクット王工科大学トンブリー校)
-Media Arts 2人
King Mongkut’s Institute of Technology Ladkrabang(モンクット王工科大学ラートクラバン校)
-Film and Digital Media 2人
Kantana Film and Animation Institute(カンタナ・インスティテュート)
-Animation Production 2人
Sriprathum University(スィーパトゥム大学)
-Digital Media 1人
東京藝術大学
-大学院映像研究科アニメーション専攻 6人
ワークショップの詳細
《1日目の内容》
1日目は、まず参加者が6つのグループに分かれ、それぞれグループ内で協力しあいながら、アニメーションの基本である「歩き」の作画に取り組んでもらった。
それに先立ち、最初に作画の補助教材となるキャラクターの「紙人形」を、一人一体ずつ制作することから始められた。グループのメンバーはほぼ全員が初対面であることから、最初の紙人形の制作作業を通じて、グループ内でコミュニケーションをとることが促された。
開会式では、シラパコーン大学のChaicharn Thavaravej学長ならびに本事業のタイ側のプロジェクトプロデューサーであるChanisa Changadvec氏、日本側のプロジェクトプロデューサーである岡本美津子氏からそれぞれ挨拶があった。
開会式後、瀬谷講師が3日間の内容と目標を簡単に説明した上で、さっそく「歩き」の課題に入ることが告げられた。まず「歩き」について身体で理解するため、実際に皆で歩く様子を観察する時間が設けられた。その後、1時間程の短い時間で、実際に「歩き」を作画してみるように指示が出された。
参加者の中には、タブレットによるデジタル作画しかやったことがない者もおり、紙に鉛筆で描く伝統的な作画スタイルを新鮮に感じたようである。作画した後は、布山ディレクターが開発した『KOMA KOMA』というアニメーション撮影ソフトで撮影し、最終的には全員分の「歩き」を、画面上に一覧して見くらべながら講師が講評を行った。
講評の後で、瀬谷講師から「歩き」を作画する上でのポイントが説明された。その内容をふまえて、更に「歩き」の修整作業に取り組んでもらった。
「歩き」の作画が終了した後は、佐藤講師が作画監督を手掛けた映画『シンドバッド』の制作資料(絵コンテ・レイアウト・原画・動画・タイムシート)が紹介され、3日間の空き時間に、自由に手にとって見て構わないと伝えられた。この制作資料は、日本アニメーション株式会社のご厚意によりコピーをご提供頂いたものである。受講生はもちろん、オブザーバー達も、普段なかなか見ることのできない貴重な資料に目を輝かせており、講師やスタッフ達に熱心に質問する者もいた。
午後は、最初に京極講師による「シアターゲーム」という身体をつかったワークショップが行われた。架空のボールをみんなで渡しあうゲーム感覚のパントマイム体験を通じて、アニメーション表現においても、他者と共有できるイメージを心の中に持つことが重要であることが説かれた。
シアターゲームの後は、午前中の「歩き」の作画の修整バージョンについて講評が行われた。短時間だったにも関わらず、いずれの「歩き」も、修整前より明らかに優れた表現になっており、講師達も感心していた。
「歩き」の課題を終え、次に今回のワークショップのメイン課題について、瀬谷講師から説明がなされた。あらかじめ用意された絵コンテにもとづき、グループ内で1人1カットずつ分担することで、計5~6カットの短いシーンからなるアニメーション作品を作るという課題である。内容的には主人公の男の子が、スイカの入った箱を移動させるというもので、箱の重さの表現や、主人公の感情を反映させた歩きの表現、さらにはその表現をカットごとに連続させることなど、さまざまな要素が含まれた難しい課題である。
まずはグループごとに、絵コンテをもとに具体的な内容についてディスカッションして決めてもらった。最終的には、その内容を絵コンテとしてまとめ、さらにそれを布山ディレクターが開発した『KOMA CHECKER』というアニメーション撮影ソフトで撮影し、コンテ撮(アニマティクス)を完成させた。
《2日目の内容》
最初に、各グループのコンテ撮(アニマティクス)を上映した。それぞれに対して講師からアドバイスがあり、さらに竹内ディレクターからは、主人公の感情が観客に伝わる表現をしっかり追求するように、あらためて説明があった。
2日目は、終日、課題の作画に費やされた。会場内には、本物のスイカと箱が置かれ、学生たちがいつでもそれらを手にとって確認できるようにした。3人の講師はそれぞれ2チームを担当する形をとり、作画途中に質問を受けて助言したり、『KOMA CHECKER』で撮影されたテスト映像に対して、さまざまな助言を与えたりしていた。講師から参加者への助言は、全て通訳を介してタイ語または英語で伝えられた。
2日目の最後には、ほぼ全員がラフなドローイングで各カットのはじめから終わりまで完成させることが出来た。コンテ撮の段階では、やや複雑な演出も含まれていたことから、時間内に完成できるか不安視されたグループもあったが、タイの学生たちは予想以上に作画スピードが早く、その点は講師たちも大いに感心していた。
《3日目の内容》
最終日の午前中は、課題の仕上げ作業にあてられた。一部のグループはやや完成が遅れたものの、14時までには無事に全てのグループが作品を完成させることが出来た。
その後、佐藤講師が作画監督をつとめた、日本アニメーションの作品『シンドバッド 魔法のランプと動く島』が上映された。英語字幕無しでの上映だったが、事前にあらすじを解説した資料を配付したので、学生たちも問題なく内容を理解できたようである。
『シンドバッド』の上映後、課題の完成作品を上映し、講評が行われた。各グループの作品全体の講評だけでなく、一人一人の担当したカットごとに、講師から丁寧なコメントが寄せられた。
講評後は1時間ほどの質疑応答の時間が設けられ、参加学生だけでなくシラパコーン大学の先生達からも積極的な質問がなされた。
質疑応答の後には、参加学生全員に修了証が授与され、全てのプログラムが終了した。閉会式の後も、講師達のサインを求め長蛇の列が出来ていた。
アンケート結果
- 今回のワークショップは、面白かったですか?
-
非常に面白かった 20人(80%)
ある程度は面白かった 5人(20%) - 今回のワークショップで学んだことは、今後、あなたの制作の役に立つと思いますか?
非常に役に立つ 18人(72%)
ある程度は役に立つ 6人(24%)
未記入 1人(4%)- 今回のワークショップで学んだと思うこと
-
- ●2Dの手描きアニメーション。いつもはコンピュータ上でデジタル作画をしており、トレース台の上でアニメーションを描くのは初めてだった。
- ●私は手描きアニメーションが初めてだったが、第一にキャラクターの動きについて学んだ。歩き、走り、感情表現など。それらはとても難しく、そして楽しかった。この体験で私はアニメーションにますます興味をもった。
- ●アニメーションの基礎と、それに関する様々なディテール(歩きのサイクルなど)。
- ●歩きと走りのサイクル、キーポーズ、正しい脚の動きなど。さらにそれ以上に、実際の制作現場で必要とされるチームワークと意見調整のスキルを学んだ。
- ●チームワーク。大学でも同様のことはやったが、これほどのクオリティの作品は制作できなかった。その時にはチームワークやコミュニケーションがうまくいっていなかったのだろう。
- ●キャラクターをどのように描くか。またどのように創造的なアイデアを表現するか。
- ●どのようにポーズを描くか。そのためには実際に自分で演じてみることや、実物を観察することが必要。
- ●アニメーションをつくることは大変なことではない。
- ●私はこれまでチームでの制作をしたことがなかった。それはとても楽しく、新たな技術を他の人達から学んだ。
- ●どのようにアニメーションを創り出すためのインスピレーションを得るか。
- ●プロのアニメーターからの助言。
- ●基本的なアニメーションの秘訣。
- ●どのように技術と想像力を使うか。
- ●動きを表現するためにどのように正しいフレームを描くか。
- ●時間とフレームについて、また人間の動きをどのように描くか。
- ●アニメーションにおける1フレーム中のディテールが、大きな意味を持つということ。
まとめ
今回、2年目の開催となり、昨年度の経験を踏まえて様々な改善を試みた結果、より質の高い内容の文化交流・協力プログラムへと発展させることができた。具体的な改善点や反省点については、以下、箇条書きでまとめる。
- カリキュラムを2日間から3日間にすることで、受講生たちが課題に取り組む時間を十分に確保出来、成果物の質が向上した。またディスカッションの時間も十分にとることができた為、昨年度以上にチームごとに協力し合う意識が高まり、活発なやりとりが見られた。
- 昨年度はプロの通訳を使わなかった為に、講師から受講生へのコミュニケーションがスムースに行われない局面がしばしば見られたが、今回は高い技術を持ったプロの通訳を投入した結果、コミュニケーション上の問題はほとんど生じなくなった。
- シラパコーン大学側の都合で、開催地が昨年度のバンコク市内のキャンパスではなく、ナコーン・パトムのキャンパスで実施することになった。その結果、遠方の大学からの受講生が参加しにくくなるという問題が生じたが、運営面ではいくつかのメリットがあった。まず都会の喧噪から離れ、落ち着いて集中できる環境であった点。またホテルとの往復で渋滞に巻き込まれるなどの問題が生じにくい点。さらにワークショップ会場が昨年以上に広いスペースだったので、シアターゲームなどで身体を動かすスペースを十分にとれたのも有り難かった。
- 昨年度、数名のシラパコーン大学卒業生達がサポートスタッフとして協力してくれたが、本年度も同様に協力してもらうことができた。中には昨年度もサポートスタッフとして参加してくれた者がいた他、昨年度は受講生だったが今回はサポートスタッフとして参加してくれた者もおり、アニメーションブートキャンプのOB・OGの活用という新たな展望が開けた。
- 今回、新たに日本からの受講生として6人が参加した(その他、記録撮影スタッフとして2人が参加した)。彼らは皆、東京藝術大学の大学院生で、同大学の海外渡航支援を受けて参加したものである。当初、日本人が参加することにはコミュニケーション面での不安もあったが、結果的には彼らが参加してくれたことで、昨年度以上にグループワークが活性化し、メンバー間の結束力が強まったように思われる。そのことは成果作品の質の高さにも表れている。
- シラパコーン大学が本事業について広く呼びかけて下さった結果、オブザーバーの数が昨年度よりも明らかに増えた。しかし彼らからの質問に丁寧に対応できる時間的余裕が残念ながらなかったので、今後はオブザーバーとの意見交換の時間を別途設けるなど、何かしらの改善を検討すべきだろう。
以上、多少の課題は残ったが、事業全体としては成功だったと総括できる内容だったといえよう。タイ側のスタッフとの信頼関係もますます強固になり、今後の継続的な開催と、更なる事業の発展が期待されている。